宮崎地方裁判所 昭和35年(タ)6号 判決 1961年7月20日
判 決
本籍
札幌市北十一条西一丁目一番地
住所
宮崎市水流町二〇五番地県営第一アパート内
原告
坂井トシヲ
右訴訟代理人弁護士
江川庸二
本籍
佐賀県杵島郡白石町大字堤一、五三四番地
住所
宮崎市霧島町二四五番地
被告
鐘ケ江英夫
右訴訟代理人弁護士
福田甚二郎
主文
昭和二六年五月二一日石川県金沢市長宛届出に係る原告と被告との協議離婚は無効であることを確認する。
訴訟費用は被告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は次のとおり述べた。
第一、請求の趣旨
主文第一項同旨の判決を求める。
第二、請求の原因事実
一、原告は被告と昭和六年六月一二日婚姻しその間に七人の子をもうけた。
二、ところが被告は昭和二五年秋頃から当時同じ職場に勤務していた訴外泉きよと親しくなり、翌昭和二六年四月頃原告に離婚するよう申し出たが原告は勿論これに応じなかつた。其の後原告は同年八月頃原告と被告が離婚したという風評をしばしば耳にするので調査したところ、被告は離婚届書届出人欄に原告の氏名を冒書しその名下に偽造の印鑑を押捺して離婚届を作成し同年五月二一日石川県金沢市長に対しその届出をしたことが判明した。
三、しかしながら前述のとおり右離婚届は被告の偽造にかかるもので、原告と被告との間に離婚について何らの協議が成立したことはないのであるから原告は被告に対し右届出による協議離婚の無効であることの確認を求める。
第三、被告の抗弁事実に対する答弁
一、同一の主張に対し、
(一) 身分行為においては追認の余地がない。
(二) 仮りにその追認が許されるとしても追認の事実はない。被告主張のように原告が訴を提起し、又それを取下げるにあたりその主張のような契約を締結したことは認めるが、その契約によつて右離婚届を追認したものではない。原告は被告の懇願により被告の公務員たる地位を考慮して一時右訴を取下げたまでである。そのことは、右契約では、同協議離婚の有効無効について、何も触れていないことからも窺知できる。
二、同二の主張を否認する。被告はその身教職にあり、そのうえ原告との間に七人の子までありながら色慾に迷い、昭和二五年以来三人の女性と関係のあるもので経済力のない原告に対し金銭的援助を断つことをもつて原告を強迫し前記訴を取下げるよう迫つた。そこで原告は経済的弱さの余り仕方なしに右訴を取下げ右契約を締結した。しかし同契約による被告の原告に対する送金は夫としての被告が負う扶養義務の履行にすぎない。原告が今日に至り長男の経済的支持を得て本訴を提起したことをもつて被告から責められるべき筋合ではない。
被告訴訟代理人は次のとおり述べた。
第一、請求の趣旨に対する答弁
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求める。
第二、請求の原因事実に対する答弁
一、原告の請求の原因事実のうち一の事実と二の事実中原告主張の日にその主張のような離婚届がなされたことは認めるが、そのほかの事実は否認する。
二、被告は原告と離婚について協議のうえその承諾を得て右離婚届に原告が前から使用していた印鑑の押捺を受け、更に保証人二名の連署を得てその届出をしたものである。
第三、抗弁
一、仮りに右離婚届が原告不知の間に作成された無効のものであるとしても原告は其の後右届出を追認している。すなわち原告は昭和二九年中に被告に対し、当裁判所に本訴と同趣旨の協議離婚無効確認の訴を提起したが、同年一〇月五日右訴を取下げるにあたり、被告との間に、(一)被告から原告に対し生活費を補助し子供の養育費を送金すること、(二)原被告は互にその生活其の他について何らの制約を受けることなく且つ相互に干渉其の他相互の迷惑となる申し入れなどは一切しない旨の契約を締結した。原告は、同契約を締結するについて、右離婚届出の事実を承認したうえでしたものであるから、従つて原告は、同日被告との右協議離婚を追認したことになる。
二、被告は右契約条項を忠実に履行してきたにも拘らず、其の後約九年を経て原告が再び本訴を提起することは右契約の趣旨に反するもので信義誠実の原則に違反しそのうえ権利の濫用というべきである。
証拠(省略)
理由
一、公文書であることから真正に成立したと推定される甲第一号証によると、昭和二六年五月二一日金沢市長に対し原被告間の協議離婚の届出がなされ、同市長が同日それを受付けたことが認められる。
二、そこで右届出による原被告間の協議離婚が無効であるかどうかについて判断する。
前掲甲第一号証及び原告の署名押印の部分は被告本人尋問の結果により被告によつて作成されたと認められ、その余の部分については当事者間に争いがなく、その方式及び趣旨により真正に成立したと認められる同第二号証、(その他の証拠)を総合すると、
(一) 原告と被告は昭和六年六月一二日婚姻して同棲し、その間に七人の子をもうけて円満に暮らしていたが、昭和二三年頃被告が訴外本間某という女性と親しくなつたことから夫婦の仲が悪くなつた。被告は昭和二五年秋頃石川県石川郡松任町松任農業高等学校の教員をしていたが、同じく同校の教員であつた訴外泉きよと親密な仲となり、そのため原告に対し離婚を希望するまでになつたが、原告は七人の子まであるので、これに応じなかつたところ、被告は昭和二六年五月頃原告の不知の間に、離婚届用紙に、届出人として原告の氏名を冒書しその名下に偽造の印鑑を押捺し、証人として訴外倉富恒三と当時同校の小使をしていた訴外北崎信次に依頼して同人らの押印を得、その他所要事項を勝手に書き込んで、離婚届(甲第二号証)を偽造し、同月二一日これを金沢市役所に提出したので、同届は同日受付けられたこと、
(二) 原告は同年七月頃になつて顔見知りの行商人から、離婚の届出がされていることを聞き、驚いて証人になつた右倉富恒三に事情を尋ねたり、又被告に対してもそのことを詰問したが、右離婚届はそのままの状態で同年九月頃被告の転任に伴い被告や子と被告の郷里である佐賀県杵島郡白石町大字堤に転居したこと。
が認められ、(中略)右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実によると昭和二六年五月二一日金沢市長に対してなされた原被告間の右離婚届は、原告に全く離婚する意思がなく従つて、原告の意思にもとずかないで、被告が勝手にしたものであるから、右届出による協議離婚は無効であるといわなければならない。
三、次に被告の追認の抗弁について判断する。
(一) 原告は身分行為については追認の余地がないと主張するので先づこの点についての当裁判所の考えを述べる。
民法総則の追認の規定は、それが主として財産的取引関係を考慮して定められたものであるから、原則的には、そのまま身分行為に適用されるものではなく個々の身分行為についてその特質に応じ具体的に事案に即して追認の効力を決めるべきである。そこで今無効な協議離婚の追認にだけ限つて論を進めると、協議離婚が有効であるためには離婚という身分関係を創設しようとする当事者の意思があり、届出の意思をもつて市町村長に届出られることを必要としそれとともに通常実体である別居という生活事実も実現されるものであるから、届出がその届出の当事者の意思にもとづかず、また届出当時当事者に協議離婚をする意思がなく、それによつて成立した協議離婚が無効であるときでも、後日その届出に対応する生活事実即ち別居が実現され、そのうえ前の無効の届出を追認する意思が明示にされたときは追認を許して届出当時に遡及して協議離婚が有効にされたものと解するのが相当である。そうしてそのように解しても届出によつてすでに身分関係が公示されており、又それに対応する生活事実が形成されている以上当事者の意思にそい、また社会生活関係においてもかえつて混乱を生ぜしめるようなことが少いわけである。
(二) そこでこの見地に立つて本件において追認が認められるかどうかについて判断する。
(証拠)によると、
(1) 原告及び被告は昭和二六年九月頃前記松任町を引きあげて佐賀県杵島郡白石町に帰つたが、被告は原告と同居することを嫌つて別居していた。そうするうち被告は原告に対し原告がその実家である札幌に行かなければ生活費を渡さないと言い出したので、原告は仕方なく昭和二七年一〇月頃子供を連れて札幌市に移つたが、約一年ほどして、宮崎市に転居した被告の許に帰つて来た。しかし被告は同じく宮崎県内の学校に転任した右泉きよとの関係が続いていたので、原告と同居することを嫌つて再び他に転居した。
(2) そこで原告は昭和二九年四月二〇日頃宮崎地方裁判所へ被告を相手どつて前記届出による協議離婚の無効確認の訴を提起したところ、被告は、原告や同人と生活を共にしている子の生活費の支給をやめて、原告に右訴を取り下げるよう強く要請した。原告は生活に困り、又被告がその態度を改めてくれることを期待し同年一〇月五日右訴を一先ず取下げることにしたが、その際、原告は何よりも先づ将来被告から確実に生活費の支給が受けられることを希望していたので、右離婚届による協議離婚が有効か無効かについてふれないまま、(イ)被告から原告に対し生活費を補助すること、また原告が子供を養育するときは子供の養育費を原告に交付すること、(ロ)この契約を履行する上において、原告及び被告は互に生活の他について何らの制約を受けることなく、且ついずれからも干渉其の他相互の迷惑となる申入れなど一切なさないこと(以下(ロ)の条項という)など契約をしたこと。
(3) 其の後被告は右契約によつて原告に対し生活費などを送金することになつたが、原告が従前どおり受領証に鐘ケ江トシヲと署名捺印していたところ、被告は原告に対し原告に対し原告が鐘ケ江の妹を使用するならば送金しないと申出たので、原告は昭和三〇年一月から旧姓である坂井の姓によつてその受領証を作成するに至つたこと。
が認められ、右認定に反する(証拠)は採用しない。
右認定の事実によると、原告は、生活費をうるために、被告の右訴の取下げの要請をいれて、被告と右契約を締結したにすぎないのであつて、原告には、右契約によつてさきに被告がした協議離婚を追認する意思は毛頭なく、右契約までの間も原告は被告から生活費の支給を受けるために仕方なしに被告の意に従つて被告との別居生活を余儀なくしていたものである。そうすると、被告が主張するように(ロ)の条項を締結したことを目して、原告が右無効な協議離婚を追認したものとは到底することができないから被告の右主張は理由がない。
四、被告はまた原告が本訴を提起したことは信義誠実の原則に違反し且つ権利の濫用であると主張するので判断する。
右協議離婚は、原告に離婚する意思がなく、そのうえ原告の意思にもとつかないでされた無効のものであること、及び原告に右無効な協議離婚を追認する意思が認められないことは前述のとおりであるから、原被告間に協議離婚がなされた旨の戸籍上の記載は真実に反する誤つた記載であることは明らかである。従つて原告がその訂正の方法として本訴を提起したことはまことに当然の権利行使であつて、(ロ)の条項が右権利の行使を制約する趣旨のものと解することができないばかりか(証拠)よると、被告は右契約締結後、原告に対し昭和二九年一〇月から昭和三五年四月まで月々生活費や養育費を送金していたことが認められるが、右の事実は被告の契約条項による履行といつてみても被告の夫として又親としての扶養義務を履行したにすぎないのであるから、被告が右契約上の義務を履行しているからといつて、そのことの故に原告の権利の行使である本訴の提起を、権利の濫用であり、又信義誠実の原則に違反すると非難すべき筋合のものでないこと多言を要しない。そうしてみると、被告の右主張も理由がない。
三、以上の次第であるから、原告と被告との協議離婚の無効確認を求める原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担について民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。
宮崎地方裁判所民事部
裁判長裁判官 野田普一郎
裁判官 古 崎 慶 長
裁判官 三浦伊佐雄